人気ブログランキング | 話題のタグを見る

MANUKA

chirujirou.exblog.jp
ブログトップ

藤前干潟から見えるもの -4月1日- その2

藤前干潟から見えるもの -4月1日- その2_e0041624_22272462.jpg



(前回の続き)
さて、午前の“授業”は望遠鏡を干潟堤防にセットしてのバードウォッチングだった。
望遠鏡に映る鳥類の説明からや干潟の移り変わりの様子まで辻さんから詳しい説明があり、参加者それぞれが思い思いの疑問をぶつけていく。
前回冒頭で挙げた鳥の大乱舞は、このとき見たのだった。
一見ドロ沼のようにしか見えない目の前に横たわる藤前干潟、見るヒトが見ればここは砂を被せるだけで簡単に海から干拓地が切り取れる絶好の場所だろうと思った。そんな干潟も、辻さんら理解のあるヒトの目にかかれば「プランクトンのスープ」との形容に化ける。ちょっと子どもっぽく言えば「自然界の社交場」とも言えるだろう。鳥類を頂点とした多様な生態系が、自然界のすべてを交錯させていた。
望遠鏡を通して食事中の鳥を観察すると、一定間隔で造作なく餌を飲み込むしぐさを見せているのに気が付く。となりの鳥も、その隣の鳥も・・。そのテンポがあまりにも早い。聞くと、ある種の鳥は一日に500gもの餌を得るそうだ。そんな鳥たちが、所狭しと何万羽も羽を休め小魚を求めるのが、ここ藤前干潟だ。
今まで知らなかったのが恥かしい。
生命溢れる空間が、わずか車で40分のところにあったのだ。

午後からの“2時間目の授業”は、ビデオレクチャーと辻さんのお話。
辻さんの話はこちらまで暖かくなってきてしまうほど、藤前干潟へのゆるぎない愛着が感じて取れた。最も印象に残ったのが、「生命地域(Bio Region)」という考え方だ。これは「水」を中心とした自然環境という観点から一つの地域を考えるもので、言い換えれば森から始まる生命循環の輪とも言える。「森の育成が漁業の発展につながる」という話はよく聞くが、この話はまさにこの「生命地域」の考え方にのっとっている。
俺の住む生命地域は、「伊勢湾流域」。伊勢湾へと流れる川と、その川をはぐくむ森が生きている地域が、この範疇に入る。
ラムサール条約を「藤前のことを知ってもらうための道具」と言い切ったことも印象深い。
藤前干潟は水鳥を守るための世界共通の条約であるラムサール条約に登録されている。が、それはより分かりやすく・効率よく伝えるための道具という位置づけに認識している点、とても共感できた。

あと、これは個人的な見解だが、質疑応答の時、参加者の一人が年々藤前を訪れる鳥の数が減っていることをとても悲しそうに話していたのだが、そういった姿勢は自然保護のフィールドには必要ないんじゃないかな、と思った。誤解を恐れずに言ってしまえば、ヒトがいる以上自然環境の破壊は免れない。だからこそ、破壊の規模を最小限に抑えることや破壊した部分をあるべき姿に変える活動は必然的に生まれてくる。当たり前だけど、ここの部分を、しっかりと認識しておくことも必要じゃないだろうか。それを前提として、現代の環境保護は語ることができるのだから。

*****

ちょっと別次元で感想を言わせて貰えば、やはり自分の単純さには呆れを通り越して愛着すら覚える。今日はわくわくしすぎて疲れてしまった。それに授業の最後、突然感想を求められて、とっさに喋りだしたのだが、喋ってる自分が驚いたほどよく口が回った。
シューカツで人前でしゃべる機会(面接)がままあるが、その時の自分とは天と地の差がある。

前もどっかの記事で言ったけど、やはり俺は興味ある世界でしか生きられないみたいだ。

NZで自然保護の手法を学び経験したい、この想いは日に日に強くなっていく。その道の先進国で手法を学び、それを日本で活かせることができないだろうか。でも過去の手法を学ぶだけでは機転の放棄、つまり自分で手法を発想することをおろそかにしてしまいそうだが、そこだけは細心注意して、これから、このフィールドの知識を深めていきたいと思う。そういう意味では、藤前干潟が自宅近くにあり、海上の森が大学のウラにある今の学習環境。なんて恵まれているのだろう。
by Mr-chirujirou | 2007-04-02 22:37 | 大学時代を楽しもう