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『沖縄自転車③』南部戦跡2

2月20日

壕の中の暗闇は、頭がビリビリするほど何かを訴えてくる。

陸軍病院本部壕、第一外科壕、アブチラガマ・・・
これらいくつかの壕は、整備が進み(又は未整備ゆえに)実際に入ることができる。

その闇の中で目を瞑り ここで死んでいった数十、数百の人たちを想い、そして問う。
いや、問われるといったほうがいいのだろうか。その方が感覚に近い。
もの言わぬ壕は何を語る? 戦争を問え。へいわを問え。私たちは、なぜ死ななければならなかったのか・・?

たった数秒目を瞑っただけで襲ってくる
身にまとう闇からの、言いようのない恐怖と不安。。

*********

犠牲者数20数万・・数字を見ても、知識として理解しても、感覚としては到底分からなかった。
どれほどの戦争がこの地であったのか、わからなかった。

平和記念公園内には「平和の礎(いしじ)」というものがある。
戦死者のすべての名が刻まれているというその膨大な数の石版を
すべて自分の足で歩いたなら
もしかしたらこの20数万という途方もない数字が感覚としてたとえ少しでも分かるかもしれない---そう、ふっと思った。思い立ってしまった、といってもいい。

長い長い、本当に長い道のりだった。
石版の両面を丁寧に歩き、すべての名前を目に入れた。
一つの石版の片面には240名づつ刻まれていて、その石版が5枚1組で屏風のように連なる。
その"屏風"が10集まってようやく一列となり、10列以上集まって「平和の礎」となっている。
どうしてそんな細かいことをメモしたかというと、礎の前を進む自らの一歩が
どれほどの重さを持つのか、事前に知っておきたかったからだ。

おおよそ10歩で、"屏風"一つを超える。
つまり、一歩につき100名以上の名前を越えてゆく。
名前に囲まれた園内を歩く。なんて重たい一歩だろう。
名前は、当然ながら男性が多い。県別に犠牲者の名が刻まれているが、やはり沖縄県の名簿にはカタカナで書かれた女性の名前が多く、ところどころ「~の子」「~ちゃん」というような名前も定かでない子どもの名もある。赤ちゃんだったのだろう。

そして、朝鮮・韓国人のエリアに置かれた、名前の一切ない石版の数々・・・・
※「平和の礎」の建立にあたって、「加害者と同列に記されるのは恥」と名前の刻銘を拒否した朝鮮・韓国人遺族がおり、また何より、戦時中沖縄の地に1万名以上連れてこられたはずの朝鮮韓国人の消息は一切記録に残っていないという歴史的な経緯もある。それだけ、当時は強固な差別があったということであり、無記名の石版は加害国日本を示す象徴でもある。

この無記名の石版の前を通るときが、一番こころが痛かった。


平和公園の摩文仁(まぶに)の丘の
その海に面した崖の上に走りより
「やばい」「高い」を連呼していた、同世代の若者グループ。
きっと彼らの感じた摩文仁の丘の美しさは
歴史を知ることで、もっともっと深い美しさに昇華されてゆくのではないだろうか。
その崖は たった2-3世代前の おなじ人間が 絶望を胸に次々に身を投げた
目をそらすことの出来ない歴史が起こった場所なのだ。

走行距離:37.8km
訪問地:平和祈念公園(祈念堂・資料館・平和の礎・愛知の塔)、琉風の塔、沖縄陸軍病院本部壕、沖縄陸軍病院第一外科壕、琉球ガラス村、喜屋武岬

by Mr-chirujirou | 2008-03-12 02:21 | 「旅」